2017年3月31日金曜日

京街道歩きと淀城

2日間+前後夜行バス の行程で、京街道を歩いてきました。天候にも仲間にも恵まれて、楽しい旅だった。けど、疲れた。

 1日目の様子は、こちら
 2日目の様子は、こちら
 途中に立ち寄った城跡はこちら、淀城楠葉台場

2017年3月24日金曜日

吾妻三十三札所巡りの4回目と山田城、仙蔵城

 今回の札所巡りには、カミさんが同行してきたので、無理な距離は歩けない。まずは車で、岩櫃ほたるの里まで行き、そこから前回見つけることのできなかった生馬観音堂は簡単に見つかり、次に山田城まで行って見学の後、麓の小学校跡地に車を置いて歩き出した。

 第15・16番の現・善福寺の大竹川を挟んで対岸の桑田城にも寄るつもりでいたが、害獣避けの電線が入り口も塞ぐように張り巡らされており断念した。

 18番西禅寺跡にも寄った後は、当初の最小限の目的は済んだと、のんびりと歩いた。

下沢渡 双体道祖神

下沢渡中組 神社境内の双体道祖神


下沢渡 四万川に架かる橋手前


金原 文化財の絵図


宗本寺の宝篋印塔
 


 仙蔵城の説明板を見つけ、見てみよう山に入ったが、随分登りごたえがあった。が、昼食を食べた頂上の日だまりからの眺めは、素晴らしかった。

吾嬬山


薬師岳


榛名山
折田の文化財の説明板が最後となった。

2017年3月16日木曜日

吾妻三十三札所巡りの3回目と稲荷城

札所そのものについては、こちら。稲荷城については、こちらを。

吾妻の札所巡りの3回目と付近の城跡を廻ってこようと、出かけてきた。矢倉駅で下車して歩きだすと、鳥頭(トットウ)神社というのがあり寄ってみた。
神代杉
馬頭観世音


吾妻線のトンネルの上を越えてしばらく行くと、目の前がひらけ正面に岩櫃山の岩峰がそそり立っていた。
岩櫃山と密岩神社



生馬観音堂は、見つからず、原町に向かった。途中、東電原町発電所脇を通り、珍しい道祖神も見つけた。

ドウロクジン

14番奥堂を探しているとに見つけたもの。
ヒガンバナ科ハナニラ?

双体道祖神と土の神ハニヤマヒメのみこと
 
15・16番 現・善福寺の隣には吾嬬(カヅマ)神社が鎮座していた。

 
今回はここまでと、四万川を渡って戻ろうとすると、群馬県企業局の中之条発電所があった。

2017年3月15日水曜日

佐久の貞祥寺

前山城と島崎藤村の旧居を見てみようと、出かけて来た。地図には洞源湖とある沼地近くに車を置いて歩きだすと、藤村旧宅の案内があり、入っていった。

 
境内は、一面苔で覆われていて、しっとり落ち着いた雰囲気でいかにも古刹という言葉がふさわしく感じられた。
 
山門なども草葺屋根で、似つかわしいものだった。

 
 
脇の斜面を少し登ると、三重塔が建っていた。
 
 
帰りは自動車道路を下ってくると、寺の説明板があった。
 
前山城跡をあちこち探してみたが、事前の調べが足りなかったようで、見つけることができなかった。城跡の代りに月待塔を見つけた。
 
洞源湖からの浅間連峰の眺めを見て帰途につく。
 
 
 
 

2017年3月14日火曜日

多々良沼の葦刈りと館林の城跡2ヶ所

昨年に引き続いて今年も、多々良沼の野焼きの延焼防止の葦刈りを行った。この作業はお昼で終了したので、その後、以下の城跡を巡ってきた。

           大袋城  青柳城

日本城郭体系に取り上げられていた城跡だったが、残念ながらほとんど遺構らしきものは見つけられなかった。

2017年3月10日金曜日

坂東三十三所巡りの最終回と城跡巡り

海ほたるで車中泊し、最初に佐貫城跡を見て回った。


次に向かう途中に見た石の仏塔、彫られた文字もすでに読めなくなっていた。はたして何だったのだろうか。

30番の札所 高倉観音の頃から雨が降り出し、傘を指しながら片手でタブレットで写真を撮ったので、ブレて写っているものもあった。
 
真里谷城跡は、神社やキャンプ場施設もあって、10人位の人達が落葉片付け等の整備を行っていて、もうすぐこれが済めば道路入り口を閉めてしまいますと言われ、急いで見て回った。
 
31番 笠森観音と 32番清水観音の境内には共に芭蕉句碑が建てられていた。

 
33番 那古観音で、坂東三十三所巡りは完結した。
 
 
第6回の坂東札所巡りの詳細は、こちら