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2018年9月13日木曜日

下里見仲通りの道祖神

高浜方面から板鼻に車で戻る時、下里見交差点手前左側にちょっと離れて文化財説明板のようなものがあり、それに何が書かれているのかいつも気になっていた。それで今日は、少し離れてはいるが車を置けるところを見つけて、見に行った。


読んでみると、双体道祖神の説明板だった。それはどこあるのかと見渡すと、すぐ下の草木の陰に自然石のようになって目立たたずにあった。対象物よりも場所の説明が、信州街道長谷寺巡礼道、中山道などとの位置関係を記してあったのが興味あった。

2017年12月5日火曜日

児玉三十三霊場巡り-第3回

児玉三十三霊場巡りも今回が3回目だ。札所写真はこちら

26番 真東寺に向かう道端に、関流算術の大家だった小林喜左衛門の碑石と説明板があった。碑文は風化で判読できないほどになっていたが、自分の地元にも小野良佐栄重が居たことも合わせて、江戸時代の文化の高さを感じた。
 
暫く行った所には、秋蚕の碑という石碑があった。


 
宥勝寺を過ぎると、札所巡りの気分を一転するかのように現代の本庄早稲田駅が出現した。駅広場には、地元出身の塙保己一の像が建てられていた。

 
東富田に来ると、裏に古墳をのある熊野十二社神社があった。

 
本庄の市街地に入ってきて、栄の金鑚神社で神道型の庚申塔が3基見つけた。
 
今日最後の札所は、中山道歩きの時や、城跡歩きの時にも寄ったことのある陽雲寺だ。


2017年9月30日土曜日

霧ヶ峰に夏の名残を求めて

今年の夏は、いろいろあって霧ヶ峰とか美ヶ原に出かけられなかった。このまま夏が過ぎ去ってしまうのは残念と、霧ヶ峰までドライブに出かけた。
はじめに、蓼科牧場で一休みして、鳴石を見てみた。



霧ヶ峰では、もう夏草はなかったが、空気が澄み切っていて展望は素晴らしかった。

蓼科山北八ッ
横岳、赤岳、阿弥陀岳権現岳、編笠山
北アルプス(穂高岳槍ヶ岳
御嶽山
  
八島ヶ原湿原の原も茶色になっていた。
八島ヶ原湿原と鷲ヶ峰



帰りのルートは旧中山道歩き越えた和田峠から戻った。
和田峠の接待(施行所)
 

2017年5月20日土曜日

碓氷峠近くで城跡が見つかった!

新聞の城跡発見のニュースを見て、早速行ってみた。


峠に着くと、旧中山道が軽井沢に向けて下っていっていた。
 
 
更に、旧中山道を熊野神社も過ぎていくと、石碑類がかたまって置かれているところが、昔仲間と登った鼻曲山の登り口だ。


 
そこからわずか行ったところが、新聞に出ていた城跡だ。かなりはっきりした城跡が
残っていた。観光地にも近いにもかかわらず、自分のような素人でも山城とわかるようなものが、今まで知られてこなかったのが、不思議なくらいだ。
詳細は、城巡りのページに載せた。
 
城を見ての戻りは、わさびも栽培している碓氷川水源地に下りて見た。



 
その後、群馬長野の県境に建つ熊野神社も寄ってみた。


向かって右が群馬側の社

向かって左が長野側の社
 
境内には、石の風車、鎌倉時代の古鐘、多宝塔などがあった
 

 


神社の裏山を登っていくと、奥社があるというので行ってみると、その少し手前に真田幸村が初陣の勝利を祈願したという真田社があった。
 
 

2016年11月4日金曜日

岩鼻陣屋を歩く

昨日に続いて今日も、旧高崎市内の城跡歩きに出かけた。目標は、岩鼻陣屋

自動車を群馬の森において、直接には向かわず、井野川を渡って、例幣使街道の原研で一旦途切れてその続きが残っている地点を確認した。
 
その後、南下し以前来たことのある八幡原館の脇を通り、延々と続く日本化薬の敷地フェンスを見ながら、八幡神社に着いた。

 
ここから岩鼻に向かって歩いた。烏川と合流付近で再び井野川を渡ると、倉賀野の方から来た中山道が烏川の渡し場に差し掛かる地点である。

 
岩鼻の観音寺の北は岩鼻陣屋跡である。その北東には小山があり頂上には天満宮があった。

 
群馬の森駐車場に戻る前に、例幣使街道が原研敷地前で切れている場所を確認