美ヶ原に出かけるつもりで、まず途中の芦田城跡に寄った。内容は、こちら。
その西麓には、大庭遺跡というものがあった。
ここの少し離れたところにも、埋め戻しされているが遺跡があったとのことだった。
その後、白樺湖に向かったが、霧がかかってきた。霧ヶ峰ビーナスラインを走るようになると、どんどん霧は深くなり、走行もスピードを落さざるを得ないほどになって来たので、美ヶ原は諦めて和田峠から下りて帰宅の途に就いた。
2019年7月6日土曜日
2019年3月5日火曜日
住吉城と高崎市の旧村々を歩く-2
先月(2月)24日に高崎の下小塙町、旧六郷村を構成した下小塙村辺りを歩いたが、それを第1回目として、明治時代の1/2万迅速図や1/2万地形図を参考にして、あまり都市化されてないような旧村を歩いてみたいと、自宅のある板鼻から歩き出した。
R406を渡ると上大島である。安養寺の笠塔婆が現れた。
下大島に入ると、また石仏群が出たが、ここら辺は昔信州街道を歩いた時に歩いていた。
土手道を歩いていると、住吉城址という石碑を見つけた。城跡の遺構のようなものは、何もなかった。
所在地:高崎市我峰町637。群馬八幡駅の北2.2Kmで烏川と榛名白川の合流点台地上。
構造 :不詳。「南の堀跡残る」(探訪日本の城4中山道)
築 城 :不詳。
城主他:住吉玄蕃、のち清水正智在城
その他:箕輪城の防衛砦の一つ。
すぐ近くには、白川を逆サイホンで交差させる入口があった。
住吉城との関係を示す説明板
R406を渡ると上大島である。安養寺の笠塔婆が現れた。
下大島に入ると、また石仏群が出たが、ここら辺は昔信州街道を歩いた時に歩いていた。
町屋町では、諏訪神社に行ってみた。
沖町辺りの地形が明治の地図とどうも違っていて、白川が西新波下沖の東を流れている。
下の説明板にある水害と関係があるのだろうか。
沖町を流れる長野堰用水
土手道を歩いていると、住吉城址という石碑を見つけた。城跡の遺構のようなものは、何もなかった。
所在地:高崎市我峰町637。群馬八幡駅の北2.2Kmで烏川と榛名白川の合流点台地上。
構造 :不詳。「南の堀跡残る」(探訪日本の城4中山道)
築 城 :不詳。
城主他:住吉玄蕃、のち清水正智在城
その他:箕輪城の防衛砦の一つ。
すぐ近くには、白川を逆サイホンで交差させる入口があった。
白川を渡った先には、その出口から緩やかにあふれ出てきていた、
その近くには、我峰町棗原神社があった。
住吉城との関係を示す説明板

2019年2月24日日曜日
高崎市下小塙町を歩く
北海道から高崎市に移り住み、その後安中市に転居して40年を越したが、高崎市の地理はほとんど知らないことが多いので、暇なときに色々な地域を歩いてみたいと思った。
それで、まず旧高崎町と合併した六郷村のそれを構成した下小塙村を歩いてみた。
寺の次は、神社。
それで、まず旧高崎町と合併した六郷村のそれを構成した下小塙村を歩いてみた。

最初にみたのは、寺だった。
寺の次は、神社。
2019年2月11日月曜日
2019年2月10日日曜日
2019年2月9日土曜日
2018年4月10日火曜日
東三十三観音札所巡り-第5回(完)
2018年3月10日土曜日
東三十三観音札所巡り-第2回目
東観音札所巡りの第2回目である。大間々駅前からバスを電話で呼んだが、1時間待ちで大間々の町をぶらぶら歩いた。
正福寺門前の石仏
鍾乳洞公園の対岸近くに嵯峨宮があった。
群馬県企業局の発電所
明治22年から昭和29年まであった旧山田郡福岡村の碑
更に進むと、東電の福岡発電所とその傍らに庚申塔
昔、銅街道を歩いた時にも見た穴原の薬師
帰宅の途中、一度見たいと思っていた国定の忠治の墓と東山道関連のあずま橋を寄り道で見ることができた。
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沖町観音堂








































