2017年12月19日火曜日

かねつ橋と二子山古墳をめぐる散歩

運動不足解消とスマホGPSロガーの性能確認のため、散歩してきた。

まずは古城団地の外周を廻って、板鼻宿を通り中山道かねつ橋に出た。

 
そこから段丘に上がり、八幡町の二子山古墳を経由しての散歩だった。
 
 
歩行時間 1時間半
歩行距離 6.7Km
登り累積標高差 270m
 
 
 
 

2017年12月15日金曜日

児玉三十三霊場巡り-第5回目

児玉三十三霊場巡りも、今回の5回目で完了である。

福昌寺境内に、なぜだか伊藤久男の歌った歌謡曲の碑があった。

吉祥院への手前の畑地から、西上州の山や浅間などが遠望できた。
左から東御荷鉾山西御荷鉾山オドケ山赤久縄山
妙義金洞山相馬岳浅間山

鎌倉街道を歩いた時にも立ち寄っていた熊野神社


龍清寺境内の樹齢200年と言われる大きな榧の木
 
 同じ龍清寺境内の芭蕉句碑
若葉して 御目の雫 ぬぐはばや
 これも鎌倉街道歩き時に寄っている塙保己一旧家近くの墓所の解説碑

これは、光福寺境内の芭蕉句碑

ほろほろと 山吹ちるか 瀧の音

2017年12月12日火曜日

児玉三十三霊場巡り 第4回目

ルート : 自宅-(車)-32番 光福寺-31 長泉寺-児玉駅-(JR)-安中駅 歩行距離 14Km
日 付 : 平成29年(2017)12月12日
同行者:-
感 想 : 今回の児玉三十三霊場巡りは、児玉の南西にぽつんと離れて在る32番の光福寺を、今までの札所巡りの踏跡にどう繋いでいくのかが問題だった。結局は、そこまで送ってもらい、そこから児玉まで歩くこととした。

 
32番 光福寺

遠景


 
本堂

31番 長泉寺

門入口
仁王門
本堂と藤棚

光福寺境内に、芭蕉句碑があった。
雲雀より 空にさすらふ 峠かな

太駄には高札場があった。
 
 
元田には、板石塔婆なるものが残されていた。

 
 
児玉町高柳には、岡登景能の生地の碑があり、昔、銅街道を歩いた時、用水を作ったとの説明があったのが今ここで結びついた。
 
 

2017年12月5日火曜日

児玉三十三霊場巡り-第3回

児玉三十三霊場巡りも今回が3回目だ。札所写真はこちら

26番 真東寺に向かう道端に、関流算術の大家だった小林喜左衛門の碑石と説明板があった。碑文は風化で判読できないほどになっていたが、自分の地元にも小野良佐栄重が居たことも合わせて、江戸時代の文化の高さを感じた。
 
暫く行った所には、秋蚕の碑という石碑があった。


 
宥勝寺を過ぎると、札所巡りの気分を一転するかのように現代の本庄早稲田駅が出現した。駅広場には、地元出身の塙保己一の像が建てられていた。

 
東富田に来ると、裏に古墳をのある熊野十二社神社があった。

 
本庄の市街地に入ってきて、栄の金鑚神社で神道型の庚申塔が3基見つけた。
 
今日最後の札所は、中山道歩きの時や、城跡歩きの時にも寄ったことのある陽雲寺だ。


2017年11月29日水曜日

児玉三十三霊場巡り-第2回目

2回目の児玉霊場巡りに出かけてきた。今日は第3番-第9番と第30番を巡った。
各霊場の写真は、こちら

歩き始めて最初に出会ったのは、風洞(フウト)地区の天神社だった。
 
児玉の街なかに入ると、鎌倉街道上道や上杉道の説明板が出てきた。

 
そこには、源義家に起源を持つ八幡神座が鎮座していた。


 
その境内の端の道路に面して、江戸時代の高札場が移転設置されていた。



實相寺には、鎌倉時代後期文永2年(1265)に造立の阿弥陀如来の板碑があった。
 
昼食休憩は、以前に訪れている雉岡城跡公園したが、ゆったりできる良い所だった。
 
 ここの霊場巡りは、群馬県の各札所巡りと比べて山の眺めが物足りなく感じているが、かろうじて金屋付近で陣見山が眺められた。
 

2017年11月21日火曜日

児玉三十三霊場巡り-第1回目

また新たに霊場歩きを開始した。馴染み深い成身院が第1番霊場となっている児玉三十三霊場巡り霊場の写真等は、こちらで

児玉町根岸付近でみたほてい堂の五輪塔
 
新蔵人神社
 
広木の旧跡、さらし井
 
鎌倉街道の標識、6年前にここを歩いていて懐かしい。
 
美里町大仏の辻で見かけた地蔵尊と彫られた道標
 
美里町白石の西大沢神社

 
白石で見かけた板碑型の寛政13年の馬頭観音碑
 
今回巡った霊場境内には、芭蕉句碑がかなり建てられていた
普明寺 旅人と 我名よばれん 初しぐれ

本覚院 この道や 行く人なしの 秋の暮

直正寺 菜畑に 花見かおなる 雀かな