東吾妻町川戸に
信州街道を通ってボランティア作業出かけた時のこと、倉渕町権田を過ぎたあたりの片側1車線の山道に差し掛かると、ノロノロ走行の車の列が出来ていた。見てみると先頭は、重たそうな荷物を満載したトラックだった。しばらく後についていかざるを得なかったが、
忠次とまどいの松の休憩所があり、ここに車を入れて、説明板を見ながらの時間調整を行った。
翌日も同じところで作業があったので、帰りに忠次関連の処刑場跡に寄った。ここには、処刑場跡碑、忠治地蔵、慰霊碑、子分衆慰霊碑があり、人気の高さが知れる。
大戸関所は、以前に来ているので、忠次の関所破りと処刑の一連の場所は、これで完結である。