2019年3月5日火曜日

住吉城と高崎市の旧村々を歩く-2

先月(2月)24日に高崎の下小塙町、旧六郷村を構成した下小塙村辺りを歩いたが、それを第1回目として、明治時代の1/2万迅速図や1/2万地形図を参考にして、あまり都市化されてないような旧村を歩いてみたいと、自宅のある板鼻から歩き出した。

R406を渡ると上大島である。安養寺の笠塔婆が現れた。

近くにも石仏が

下大島に入ると、また石仏群が出たが、ここら辺は昔信州街道を歩いた時に歩いていた。


町屋町では、諏訪神社に行ってみた。



沖町辺りの地形が明治の地図とどうも違っていて、白川が西新波下沖の東を流れている。
下の説明板にある水害と関係があるのだろうか。

沖町を流れる長野堰用水




土手道を歩いていると、住吉城址という石碑を見つけた。城跡の遺構のようなものは、何もなかった。
所在地:高崎市我峰町637。群馬八幡駅の北2.2Kmで烏川と榛名白川の合流点台地上。
構造 :不詳。「南の堀跡残る」(探訪日本の城4中山道)
築 城 :不詳。
城主他:住吉玄蕃、のち清水正智在城
その他:箕輪城の防衛砦の一つ。


すぐ近くには、白川を逆サイホンで交差させる入口があった。



白川を渡った先には、その出口から緩やかにあふれ出てきていた、

その近くには、我峰町棗原神社があった。

 我峰町の畑に石仏群

 堤防下にも

 我峰町八幡神社

住吉城との関係を示す説明板

沖町の熊野神社まで戻って今日の歩きは、終わった。


今日の歩行ルート

1.旧榛名町-里見村-上大島村
2.旧川間村-下大島村町屋村
3.旧長野村-西新波村吾嶺村