R406を渡ると上大島である。安養寺の笠塔婆が現れた。
下大島に入ると、また石仏群が出たが、ここら辺は昔信州街道を歩いた時に歩いていた。
町屋町では、諏訪神社に行ってみた。
沖町辺りの地形が明治の地図とどうも違っていて、白川が西新波下沖の東を流れている。
下の説明板にある水害と関係があるのだろうか。
沖町を流れる長野堰用水
土手道を歩いていると、住吉城址という石碑を見つけた。城跡の遺構のようなものは、何もなかった。
所在地:高崎市我峰町637。群馬八幡駅の北2.2Kmで烏川と榛名白川の合流点台地上。
構造 :不詳。「南の堀跡残る」(探訪日本の城4中山道)
築 城 :不詳。
城主他:住吉玄蕃、のち清水正智在城
その他:箕輪城の防衛砦の一つ。
すぐ近くには、白川を逆サイホンで交差させる入口があった。
白川を渡った先には、その出口から緩やかにあふれ出てきていた、
その近くには、我峰町棗原神社があった。
住吉城との関係を示す説明板