26番 真東寺に向かう道端に、関流算術の大家だった小林喜左衛門の碑石と説明板があった。碑文は風化で判読できないほどになっていたが、自分の地元にも小野良佐栄重が居たことも合わせて、江戸時代の文化の高さを感じた。
暫く行った所には、秋蚕の碑という石碑があった。
宥勝寺を過ぎると、札所巡りの気分を一転するかのように現代の本庄早稲田駅が出現した。駅広場には、地元出身の塙保己一の像が建てられていた。
東富田に来ると、裏に古墳をのある熊野十二社神社があった。
本庄の市街地に入ってきて、栄の金鑚神社で神道型の庚申塔が3基見つけた。