2017年5月29日月曜日

吾妻三十三札所巡り第7回(完結)と中之条の小城

吾妻三十三札所巡りも今回で、完結である。
歩きだすとすぐに、小塚古墳が現れた。
 
 
しばらく歩くと、榛名連山が綺麗に見えてきた。
 
 
31番小池観音堂をようやく見つけ終わって、32番塩平観音堂の参道脇で、線刻の大黒天を祀った石仏を見つけた。

 
名久田川の峡谷を渡り、33番の大塚観音堂に手を合わせると7回に亘った吾妻札所めぐりも無事終了である。

 
車に戻る途中、樋塚古墳と新旧の橋が並ぶのを見た。
 
 
 
吾妻33札所めぐりの全歩行図は、これ。
 
自宅に帰るとき、前回行けなかった小城(古城)によってきた。
 

2017年5月24日水曜日

ヤマボウシの花

我が家のヤマボウシにも花が咲いた。昨年は2~3輪だけだったけれど、随分増えている。


ほかには、こんなのも咲いていた。

2017年5月23日火曜日

吾妻三十三札所巡り-6回目

最初に、中之条 林昌寺を廻った。ここは、山門、本堂、観音堂に真田家の六文銭を寺章として入れてあった。山門前には、五重の石塔や、浅間山の噴火の被災者の供養塔があり、目を引いた。
 
第28番円通寺の次は、林昌院である。登り口には町の天然記念物になっている糸ヒバの木きがある。
ここからかなり林道のような道路を登った先に、参道石段があり、その脇に珍しい庚申塔が置かれていた。
 
札所めぐりの詳しい内容は、ホームページに載せた。
 

2017年5月20日土曜日

碓氷峠近くで城跡が見つかった!

新聞の城跡発見のニュースを見て、早速行ってみた。


峠に着くと、旧中山道が軽井沢に向けて下っていっていた。
 
 
更に、旧中山道を熊野神社も過ぎていくと、石碑類がかたまって置かれているところが、昔仲間と登った鼻曲山の登り口だ。


 
そこからわずか行ったところが、新聞に出ていた城跡だ。かなりはっきりした城跡が
残っていた。観光地にも近いにもかかわらず、自分のような素人でも山城とわかるようなものが、今まで知られてこなかったのが、不思議なくらいだ。
詳細は、城巡りのページに載せた。
 
城を見ての戻りは、わさびも栽培している碓氷川水源地に下りて見た。



 
その後、群馬長野の県境に建つ熊野神社も寄ってみた。


向かって右が群馬側の社

向かって左が長野側の社
 
境内には、石の風車、鎌倉時代の古鐘、多宝塔などがあった
 

 


神社の裏山を登っていくと、奥社があるというので行ってみると、その少し手前に真田幸村が初陣の勝利を祈願したという真田社があった。
 
 

2017年5月6日土曜日

九州城巡りの旅7日目

九州城巡りの旅7日目で、今日飫肥城を見れば予定の計画は完了である。もうこちらの方に来ることもないだろうから、都井岬によって野生馬を見てくることとした。



都井岬灯台

岬馬を見てから海岸線を走って飫肥城に行く途中に、幸島という猿が生息する島があり、ちょうど干潮のときだったので砂州の上を歩いて島まで歩いて渡れた。

 
 
この旅の最終目的地飫肥城をを見てから、武家屋敷街も歩いてみた。


 

その後は、日南海岸の奇岩鬼の洗濯岩を見て、宮崎空港近くでは南国風の街路樹のある道路を走って、門司のめかりPAまで走った。6日前に泊まった壇ノ浦は関門海峡を挟んだ対岸である。終わってみてばあっという間の1周間だった。明日は、ただひたすら群馬に向かって走るだけだ。よって、旅行の記録はここまで。

 

2017年5月5日金曜日

九州城巡りの旅6日目

九州城巡りの旅も6日目となった。昨夜泊まった長島の道の駅出て、狭く360m程しかない黒之瀬戸に架かる橋をあっという間にわたると、もう九州本戸である。鹿児島に向けて車を走らしていると、武家屋敷街という旗が立ち並んだ広場があった。薩摩藩の麓の一つかと思って、見ていくことにした。清色城の城址碑があり、その先に低い石垣が囲われた武家屋敷跡が、ずっと並んでいた。





 
 
入来の武家屋敷を見たあとは、鹿児島で鹿児島城及び城山を見て回った。その後は、鴨池垂水フェリーで大隅半島に出た。そこから、旧海軍の特攻基地で現在の鹿屋航空基地の資料館を目指したが、なかなか見つからずやっと着いたときには、閉館時間が過ぎてしまっていた。
この夜は、志布志湾くにの松原近くで温泉が併設されている道の駅に泊まった。後は明日、飫肥城を見ればこの旅の目的は完了である。