Wanderer's Note
山登り、街道歩き、城巡りの旅や日常の出来事等を綴る
2016年12月22日木曜日
国定忠治と東吾妻町
東吾妻町川戸に
信州街道
を通ってボランティア作業出かけた時のこと、倉渕町権田を過ぎたあたりの片側1車線の山道に差し掛かると、ノロノロ走行の車の列が出来ていた。見てみると先頭は、重たそうな荷物を満載したトラックだった。しばらく後についていかざるを得なかったが、
忠次とまどいの松
の休憩所があり、ここに車を入れて、説明板を見ながらの時間調整を行った。
翌日も同じところで作業があったので、帰りに忠次関連の
処刑場
跡に寄った。ここには、処刑場跡碑、忠治地蔵、慰霊碑、子分衆慰霊碑があり、人気の高さが知れる。
大戸関所
は、以前に来ているので、忠次の関所破りと処刑の一連の場所は、これで完結である。
2016年12月20日火曜日
図らずもの岩下城
ボランティア作業で、東吾妻町川戸に早めに出かけた。集合時刻前に、以前訪れた近くの
内出城
で補充用の写真を撮って来るつもりだった。集合場所に戻ってみると、誰も来ていなかった。電話で確認すると、作業日が変更になったのを忘れていたものだった。
このまま何もせずに帰るのも悔しいので、カメラも在ることだし、割と近くの岩下城に行ってみることにした。林道を走り、城山の北のコルの三叉路に車を止めて、登ってみた。堀切、郭などがよく残っており、行ったかいがあった。
岩下城の詳細についてはこちら。
2016年12月18日日曜日
今年度分の東吾妻町新巻の竹伐採作業の完了
ボランティア作業で昨年度から実施してきた道路脇斜面の放置竹林の伐採も、今年度予定分は今日で完了した。
今日は、今まで作業してきたところを見て回った後で、少し離れて作業現場を眺めてみた。毎回十数人が20回以上の作業を行ってきたところの結果である。あれだけ密生していた竹林もすっかり伐採されて、全く違った景色となっていた。
ちなみに下は、
前年度作業時の様子
である。
2016年12月16日金曜日
高崎若田原遺跡付近を歩く
高崎市の八幡霊園内の古墳などの遺跡をじっくりとは見たことがないので、そこを目指して歩き出した。
冬晴れで、また眺めの良いところで山々がよく見えた。
天神山
赤城山(左から
鈴ヶ岳
、
黒檜山
、
地蔵岳
、
荒山
、
鍋割山
)
榛名山(
掃部ヶ岳
、
相馬山
、
水沢山
)
西上州の山々(
東御荷鉾山
、
西御荷鉾山
、
オドケ山
、
赤久縄山
、
稲含山
)
左から
浅間隠山
、
竜ヶ岳
、
笹塒山
霊園内の若田原遺跡の説明板
その中の峯林古墳の全景、説明板、石室(前、上)
楢ノ木古墳の全景、説明板
若田大塚古墳の全景、説明板、墳丘頂上
八幡霊園の道挟んで東側の物見塚古墳の全景、説明板、石室跡
若田原遺跡には、縄文時代の住居跡もあった。
住居跡1
住居跡2
同説明板
板鼻に入って、モーテル街の裏に荒木(orリュウテキ)塚古墳がある。
古墳上の荒木寅三郎の墓
前記古墳近くの坂道に在った巳待塔
弁財天を主尊として、富や福を願い己巳(ツチノトミ)の日に集まって精進・供養する巳待講の祈念碑
2016年12月6日火曜日
旧富士見村の漆窪城
前橋に行く用があり、そのついでに先日巡りそこねた
漆窪城
も廻ってきた。着いた頃は、晴れていたけれど猛烈な木枯らしが吹いていた。それでも、城址碑と簡単であるけれど説明板もあり、現況をみて縄張り図も理解できる状態で残っており、満足出来るものだった。付近には、縄張り図に書かれている十二社もあり、群馬用水赤城幹線が流れていた。
2016年11月30日水曜日
富岡七日市から安中板鼻
車検のため富岡のカーディーラーまで朝9時半に車を持っていった。検査の仕上がる夕方まで、ブラブラして時間を潰すつもりだったので、代車の予約はしてなかった。幸いなことに、青空で日差しもあり暖かである。
まずは計画通り、
七日市陣屋
を見に出かけた。今は富岡高校となっている陣屋跡の中で、太平洋戦争の末期に空襲を避けるため、陸軍中野学校がここに移っていたという碑を見つけた。
次いで同じく陣屋敷地跡の蛇宮神社を見てきた。
球石は表面の滑らかで丸く膨らんだ硬質の石がちょうど、妊婦の腹部を思わせる臍の穴に似た穴が開いているところから、「孕み石」よ呼ばれ、民間では安産の神として多くの人々によって撫でられ信仰されている・・・
龍の爪かき石は、蛇宮伝説の基となる石で、当社の御神体(縄文後期の神籠石)だったとも言われ、その石の穴にも白蛇が龍となって天空をかける時に爪で蹴った跡だとも・・・言い伝わっている。
境内の御嶽神社
この後は、特に予定していたところもなく富岡市街に入った所で、
上野札所巡り
始めた
第1番の永心寺
まで来た。
下仁田街道
富岡宿
だった現在の富岡の街並み
ここまで来て、夕刻まで時間を潰すのは大変かと考えて、このまま歩いて板鼻の自宅まで一旦戻ろうということにした。途中に城山公園というのがあり、何らかの城跡ではないかと寄ってみた。着いてみると城に関する説明もなく、訪れていた人に訪ねても、近くの民家の人に来てみても、城跡だという話は聞いたことがないとのことだった。
南からの城山公園
展望台からの富岡の町と
赤久縄山
と
稲含山
東よりの小さなピーク頂上が削平されているようで、やはり城に何らかの関係が在るのでないかと思ってしまう。
富岡市下高尾付近で、仁治の碑を見つけた。
安中市に入って上野33札所
藤木観音堂
に再会し、近くでは双体道祖神も見つけた
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